京七宝
Kyoto Cloisnne
七宝は、主に金属の下地に銀等の平線で模様をつけ、釉薬を盛って800℃前後で焼成したのちに表面を研いで作られます。
七宝の起源は、紀元前エジプトに始まったといわれています。京都では、安土桃山時代に琳派の華やかな文化と呼応して、京七宝の第一隆盛期を迎えました。京都の寺には、あちこちに七宝の釘隠しや引手等が今も残っています。
幕末から明治にかけ、ドイツ人化学者ワグネルを招いた釉薬の開発や、七宝家の並河靖之の活躍により、京七宝は近代七宝へと変革を遂げました。
現在では、主にアクセサリーや花瓶、食器等が作られています。
七宝の起源は、紀元前エジプトに始まるといわれている。有名なツタンカーメンの黄金のマスクの髭の部分に七宝が施されている。その技術は大陸・海から飛鳥時代には日本に伝えられていた。都である京の町には、いろいろ優れた工芸があり、七宝が日本で産業として栄えたのは室町時代からである。安土桃山時代には琳派の華やかな文化と呼応し、聚楽第の釘隠しをはじめ神社仏閣を七宝で飾る等京七宝の第一隆盛期を迎えた。金工師であった嘉長や平田道仁に代表される京の金工職人たちが大陸からその技術を学び、桂離宮、曼殊院の釘隠し、また本願寺黒書院、その他京都の寺には、あちこちに七宝の引手等が今も残っている。江戸時代には7代続いた高槻という七宝を商う店があり、京都の生活の中にも七宝が使われていたと考えられる。
幕末から明治にかけて、第二の京七宝隆盛期がやってくる。ドイツ人の化学者ワグネルが1867年に来日した際、京都府は舎密局にワグネルを招き、陶器や七宝の釉薬の開発に努力した。それにより京七宝は近代七宝へと変革を遂げた。京都を中心に活躍した並河靖之は、東京の濤川惣助と共に明治の二大七宝家といわれ、帝室技芸員にも任命された。こうした人々の努力により、当時の京都には七宝の工場が何軒もあり、輸出に盛況を極めた。
昭和、平成、令和と移行し、住居や生活環境も変化したが、伝統工芸である京七宝を先人から託され、今の職人たちがその技術を伝えつつ、新しい今に生きる京七宝が創られている。
なお、「京七宝」は特許庁の商標原簿に登録された、京七宝協同組合の地域団体商標である。
関連団体
Related Organization
京七宝協同組合
Address
〒616-0022
京都市西京区嵐山朝月町20-8 有限会社ヒロミ・アート内
TEL
075-634-3679
FAX
075-863-2478
Address
TEL
FAX